生野の財産

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生野区の名所

生野は歴史のある街です。古墳や遺跡、社寺、旧跡等、たくさんの名所があります。

御勝山古墳(おかちやま)・勝山遺跡

大阪市で一番古い土器が出土

南北112m、東西55m、高さ約8m。5世紀前半に築造された前方後円墳と推定されています。南北112m、東西55m、高さ約8m。被葬者は不明です。現在、前方部は道路(勝山通)と公園になっており、西側に周濠が残っています。昔は岡山とも呼ばれていましたが、1615年の大坂冬の陣、夏の陣で徳川秀忠が本陣をここに構え、その戦勝を記念して御勝山と呼ばれるようになりました。円筒埴輪・形象埴輪・土師器・須恵器などの遺物が出土しています。

平成2(1990)年の調査で大阪市域では現在のところ最古となる縄文時代前半の土器片が発見されました。これを機にこの附近を勝山遺跡と名付けられました。

住所:大阪市生野区勝山北3-16

めがねレンズ発祥の地・田島

大正時代は日本一の眼鏡生産地

明治初期、生野の田島村で生まれた石田太次郎さんが丹波の国から眼鏡製造の技術を持ち帰りました。村人達にこの技術を伝授し、この地に産業が芽吹きました。
大正に入り、田島村に電力が引かれると、眼鏡専門工場が初めて生まれました。これをきっかけに、地域住民の努力もあり、やがて日本一の眼鏡生産地となり、諸外国への輸出もされるようになりました。
しかしながら、残念なことに、現在はレンズの製造業者が激減しています。

写真:田島のめがねレンズ発祥地の碑
田島神社
住所:大阪市生野区田島3-5-34

生野区のメインストリート

勝山通

生野区のメインストリート「勝山通」。四天王寺を起点に東大阪に至る約3kmの東西の大通りです。
その中ほど、生野区役所の東側すぐのところに御勝山(おかちやま)古墳があります。
西へ約250メートルで交差しているのが「疎開道路」です。この道路は太平洋戦争中、空襲による類・延焼を防止と軍需施設への交通路の確保を目的として、敷設されました。その際に建物が強制的に立ち退き(疎開)したことから、こう呼ばれるようになりました。

生野区の川

平野川

奈良時代より平安時代にかけ平野川付近に、百済郡(くだらごおり)と呼ばれる百済 から多くの渡来人が移住した地域が置かれ、その中央を流れていたので古くは百済 (くだら)川と呼ばれていました。 旧平野川は、生野区「俊徳橋」の北辺りから東成区の「中本橋」辺りまでを曲折して 流れていたため、しばしば氾濫の元になりました。 大正12(1923)年に現在の直線的な河川に改修されました。 平野川の延長は、平野区加美北5丁目地内~第2寝屋川へ合流地点まで、10.437mあり ます。

巽東緑地

区民の新しい憩いの場

生野区の南東、平野区との境界付近にある、生野区最大面積の公園です。平成8年に完成しました。大都市では新たな公園用地の確保が困難ですが、巽配水場の配水池の上部を改造し、面積約4.7haの公園を創出したものです。
スポーツ広場、芝生広場、大型遊具があり、休日になると地元の人々がスポーツやリクリエーションを楽しみにやってきます。

住所:大阪市生野区巽東4