昭和59年就任。
同社は、昭和25年に生野区で先代が創業。
高い技術力を生かした電子機器(デジタルカメラ、カーナビなど)、携 帯電話などの部品製造、精密プレス金型設計・製作を主な事業とし、技術センター と、3つの工場を有する企業に育て上げる。
株式会社西谷精巧舎 オフィシャルサイト
http://www.nishitani-s.co.jp/
複雑な工程をひとつにまとめる技術は、まるで“マジック”!?
金型とは、プレス加工に用いる金属製の型のこと。その金型を用いて製造されるのが、プレス加工部品だ。パソコン、携帯電話、カーナビ、デジタルカメラに釣り具など。私たちの身近にある製品の中に、西谷氏が経営する西谷精巧舍が手がけている金属プレス加工部品が使われている。同社が設計する金型は他には類をみない特徴がある。それは、今までの製法なら、多くの工程と人員を要していたものを、ひとつの工程にまとめ上げる高い技術力と精密さだ。その金型設備の工程を見て、海外から視察に訪れた人が「オー、イッツマジック!」と叫んだほど。技術、経験、ノウハウを最大限に生かした結果、想像を超える金型とプレス加工部品を生み出している。
プレス加工専門から、プレス金型製作の技術と設備の導入へ
大学生の頃から本格的に先代を手伝うようになっていた西谷氏。当時は、金属プレス加工専門。その事をずっと疑問に感じていたと言う。「金属プレス加工をやっているのに、金属プレス加工のための“金型”の技術と設備がなかった。金型の技術がなければ、プレス加工の技術があるとは言えない。当時は金型を外部から購入していたんです。営業活動していても、どこか自信がなかった」 まず、新聞求人欄で金型の職人を募集することから始めた。職人が入社しても最初は思うようにいかず、失敗ばかりだった。投資だけの日々が何年も続いた。「こんな難しい事、なんでやろうと思たんかな。外部から購入する方が楽や」と思ったことも、一度や二度ではない。そんな状況が変化しだしたのは、今から20年ほど前。「金属プレス加工の基本である、“金型”の技術を蓄積していくことが、新規受注の増加に繋がっていったんです」 振り返ってみると、社の発展に不可欠な変革だった。
「発想なくして進歩なし」。一歩一歩前に進む努力を日々続ける
西谷氏に仕事する上で一番大切にしていることを尋ねると「発想なくして進歩なし」という言葉が帰ってきた。この言葉は、同社の経営理念でもある。
「普段やっていることを、常に変えてみようと思っている」と語る西谷氏。現場の仕事はルーティンワークが多い。だからといって、何も考えずに1日が過ぎていくのはちょっと情けない。今日よりも明日が、ちょっとだけ進歩しているように努力する。常にそう意識していると言う。また、「できません」という言葉を社内では禁句にしているのだとか。「『できない』って終わらせることは簡単。『できません』と口にした途端、人間は、できない理由ばっかり考えるんですよ。そうじゃなくて、“どうやったら不可能が可能になるか”を考えてほしい」 前向きな考え方の積み重ねが、西谷氏が率いる社の発展の支えとなっている。
「生野で培った人脈は、なによりの財産やね」
現在は、本社を東大阪に移転しているが、長年、仕事と生活の場であった生野に対する西谷 氏の思い入れが現れている一言だ。生野産業会青年部会11代会長であった西谷氏は、青年部会を「親が絶対教えられない事を教えられる場所」という。「次期 経営者はこういう場所で、揉まれなあかんねん」 人脈以外にも青年部会で得たもの、培ったものは多いようだ。「生野が素晴らしいのはね、うちみたいに金型 作って、金属加工した後の加工、塗装、ねじ切り、カシメ加工とか。そういう2次、3次加工の会社が揃っている。“加工のデパート”みたいなもんやね。3次 加工までできたら、お客さんも喜びはるでしょ」 こちらも生野が持つ大きな魅力である。